2009メモ−1

光を辿る

 写真の魅力の一つは記録である。見たままのものがそこに再現される喜び。その
時の感動を留めておくには最良といえる。光が定着したという現象から写真の歴史
が始まった。カメラオブスクラはデジタルカメラへと変わり、記録装置としての位
置づけのみに特化してきている。
 ものが見える為には光が不可欠である。絵を描く時には光によって照らし出され
た朧げな輪郭を辿り、さらにはイメージの奥へと迷って行くのだ。フォトグラムは
絵を描くのに似ている。暗闇の中で手探りをするかのごとく、光とものとの位置や
抵抗を感じながら印画紙に痕跡を残す。
 光はカゲを残す。光とカゲにより織りなすグラデーションは私たちに豊かな美し
さを見せてくれる。私のフォトグラムは闇と光の対比が大切なのだ。白と黒のコン
トラストがどうのというのではなく、また、単純な光とカゲによるグラデーション
でもない。ネガとポジの対比のなかに闇と光が交差し、中間に階調が生まれること
に興味がある。光は現象を追いかけるものではなく、そこにあるものを確かめるた
めの「手」のようなものである。

 

 

中を探る

 「中」とは偏らないことである。仏教においては中道、儒教においては中庸とい
うように偏ることに対しての考え方が真理を解くカギとなっている。シルエットや
透過した図像を模索していくなかで、ネガとポジの交差するフォトグラムのキモも
「中」にあると感じる。
 偏らずバランスをとることはなかなか難しい。「中」にある作品イメージは曖昧
で頼りない。力強く主張することのほうが簡単である。技術的にバランスをすり合
わせることはイメージしやすいが、作品は数値のように割り切れない。そもそも単
なる50:50であることなど「中」ではないのだ。
 モチーフに引きずられ、作品に振り回されてしまう。自分というものが邪魔をす
るのだ。純粋な「中」を探る作業のなかで、不必要な要素を削ることで出来るイメー
ジは「無」に近いとも思える。そんなように作品を捉えてみようとするときに、大
切なことは何か、ということをなかなか掴むことができない。実際に目の前にある
「はな」が綺麗なこと、そこにあるということが確かなことである。そして薄っぺ
らな感光剤の平面に何かが潜んでいることが気になっている。

January,2009     坂田峰夫



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