「世界」についてあれこれ解釈し生成されたテクストの意味内容より、 <構造>そのものにこれまで本質的な要素を見いだしてきた。 さらにここにきて、それらを支持している側面あるいは、 <器>ともいうべき対象に考察の焦点が移っている。 テクストの意味内容の不在に対して、これらのミニマルな存在こそが 空虚さゆえに豊饒な意味生成の可能性を支持し保証しているのかもしれない。 淤見 一秀 back